その後に起こったことの衝撃が大きかったせいか、つい先ほどのことなのに話のきっかけが何であったのか思い出せない。
きっかけはともかく、息子シオンと風呂に入っていた私は、話の流れの中で「七転び八起き」という言葉を知っているかと尋ねたのであった。
「なにそれ?」
その後に起こったことの衝撃が大きかったせいか、つい先ほどのことなのに話のきっかけが何であったのか思い出せない。
きっかけはともかく、息子シオンと風呂に入っていた私は、話の流れの中で「七転び八起き」という言葉を知っているかと尋ねたのであった。
「なにそれ?」
最近近所で不審者をよく見かける。
一昨日の日曜日、古武道の稽古を終えマンションに戻り、いつものようにエレベーターホールに入ると、これまで見たこともないほど大勢の人々が1機しかないエレベーターの到着を待っていた。
しかも、全員が不審者であった。
8月から親子三人で古武道の稽古に通っている。
うちの息子は少々わがままに育っている。理由は簡単で、親が甘やかしてきたからだ。
息子も私も干支は丑で、四周り違い。つまり、息子は私が48歳になる年に生まれた。
私にとっても妻(出産時39歳11カ月)にとっても初めての子どもで、しかも下手をするとおじいちゃんと孫といってもいいような年齢差なので、ついつい甘やかしてしまう。
甘やかしながらも、これでは駄目だ、いまはよくても将来のことを考えたら、もう少し厳しく育てなければと思うことは思うのだが、なかなか行動に移せない。
昨日からスマホを忘れて出張に出ているため、家族とはiPadのビデオ通話ソフトFaceTimeで連絡を取り合っている。
昨夜は仕事が終わったのが10時近く。ホテルに戻りiPadを取り出すと、妻からのメッセージが2通残っていた。1通目は「いまからお風呂」、そして2通目は「もう出た」というものだ。
前者は「いまからお風呂だから、しばらくは連絡もらっても出られないよ」という意味であり、後者は「もうお風呂から出たので連絡OK」もしくは「そろそろシオンは寝なくちゃいけないから、話したいんだったら早く連絡ちょうだい」という意味である。
受信した時刻を見ると「もう出た」というメッセージを受け取ったのが9時前。仕事中だったとはいえ、1時間も待たせてしまった。
今朝、荻窪駅で地下鉄に乗ろうとした時、あることに気づき激しく動揺した。これから2泊3日の出張だというのに、自宅にスマホを忘れてきてしまったのだ。
すぐさまその場でタブレット端末を取り出し、妻にメッセージを送信。とりあえずこちらの状況は認識してもらえたが、これからの3日間の不便さが思われて、朝から憂鬱になってしまった。
11月に家族でハワイに行くことにした。
ハワイはいいところだ。なんなら住んでもいいと思うぐらい大好きな場所だ。
私が幼い頃、ハワイは憧れの地だった。私にとってではない。日本人にとって憧れの地だった。
1960年代は誰もが気軽に海外旅行に行けるという時代ではなかった。
何気なく新聞を開き、プロ野球がセ・パ両リーグともクライマックスシリーズに突入していることを知った。今年もまた1試合も見ることなく、プロ野球シーズンが終わろうとしている。野球を見なくなって、いったいどれぐらいたつのだろう。
子どもの頃は大のプロ野球ファンだった。ひいきのチームはセ・リーグが阪神タイガース、パ・リーグが地元の西鉄ライオンズ。
だが、時代は巨人(ジャイアンツ)V9のまっただ中で、V9が達成されたのが丁度小学校6年生のとき。
つまり、プロ野球というものの存在を知り、少しずつ関心を持ち始めた幼稚園の頃から小学校を卒業するまでの間、巨人以外のチームが日本一になることはなかったということだ。
今日は息子シオンの運動会の日だ。シオンが通う子供園は園庭が狭いので、運動会は近くの区立小学校の校庭を借りての実施となった。
我が家は夫婦共働きのため、シオンは1歳のときから保育園に通い始めた。早いものでシオンも来春から小学生。今年は彼にとって5回目の、そして保育園・子供園生活を通じて最後の運動会である。
開始予定時刻は午前9時。園児の集合時刻は8時40分。
どちらも遅れてはならない大切な時刻だが、親にとってそれ以上に重要なのが8時50分という時刻である。
きのうは私の誕生日だった。
子どもの頃は、生まれたのと同じ日を毎年祝うことの意味がよく飲み込めず、周りからの「おめでとう」を、やや戸惑った気持ちで受け取っていたような気がする。
親が共働きで母は夕方まで戻らなかったこともあり、友達を自宅に招いて誕生パーティをやった記憶は一度しかない。確か幼稚園の頃だったと思う。
別に誕生日に哀しい思い出があるわけではなく、基本的にはハッピーな一日を過ごしていたと思うが、上に書いたとおり、何のためにお祝いするのかがよくわからなかった。
わからないと言えば、本当に自分は「10月16日」に生まれたのかどうか、これははなはだ疑問だぞという思いも強く抱いていた。
今日は53回目の誕生日だった。
子供のころの私には、誕生日が特別な日だという意識が薄く、1年365日のうちのごくありふれた1日という気持ちですごすことが多かった。
もちろん、「おめでとう」と言われれば「ありがとう」と答えたし、プレゼントをもらえば自然と感謝の気持ちが湧いてきたが、だからといって誕生日の到来を指折り数えて待つような子ではなかった。