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エッセイ

それでも小さい「大きくなったシオン」

シオンが小学校に上がって約1ヶ月。

子供園時代と比べると、お弁当がなくなったり、送り迎えの必要がなくなったりと、ずいぶん親は楽をさせてもらえるようになった。子供というのは成長するだけで親孝行なんだな、とつくづく実感している。

もちろん、入学と同時にすべてのお役目から解放されたわけではない。

最初の1週間ほどは同じマンションの子どもたちと一緒に集団登校をすることになっていたので、集合場所までは連れて行かなければならなかった。

マンションの前で集合して、後は上級生にお任せなので、移動距離ということでいえば子供園時代とは比較にならないほど楽ではある。が、短時間とはいえ子どもたちやご父兄と顔を合わせることになるので、身だしなみにはそれなりに気をつかわなければならない。

別にジャージ姿で現れても怪しまれることはないだろうが、通学途中で「シオン君のお父さん、ジャージだったね」などと言われてシオンが恥ずかしい思いをすることだけは避けねばならない。

マンションの玄関を出てわずか数歩歩くだけなので、もっと気軽に考えればよさそうなものだが、何事につけ最悪の事態を想定して備えようとするのが自分の持ち味らしく、ついこうなってしまう。要するに悲観的で心配性なのである。

だが、集団登校も1週間ほどで終わり、次の日からは毎朝一人で通学するようになった。

同じマンションのお母さんたちの間では、集団登校が終わっても1年生だけは待ち合わせて一緒に行こうという話になっていたのだが、シオンは初日から「オレ、一人で行くから」と友達に言い放って颯爽と学校に向かったという。

こうして、まず朝の付き添いがお役御免となった。

続いて、数日後に給食がスタートし、妻は早朝のお弁当づくりからも解放された。

残るお役目はお迎えだけだ。

4月1日に学童のお世話になりはじめてから、私が家で仕事の日は私が、外で仕事の日は妻がお迎え、というのがわが家のルールになっていた。お友達の中には最初から一人で帰宅する子もいるようだが、いままで一人で行動させたことがないので、当分は迎えに行くことにしたのである。

だが親の心配をよそに、シオン自身は早く一人帰りがしたくてたまらなかったようだ。お迎えに対して不満を漏らすようなことはなかったが、「もし、明日オレが一人で帰ったらどうする?」などと、クイズ形式でさぐりを入れることが増えてきた。

そしてゴールデンウィーク最終日の5月6日、ついに「パパ、オレ明日から一人で帰ってみたい」と独立宣言が発せられたのである。

悲観的で心配性の父の脳裏には、相変わらず万一の事態ばかりが浮かんでいたのだが、よく考えれば朝は一人で登校させているのだから、帰りだけだめだというのも説得力に欠ける。それに、遅かれ早かれ一人で帰る日は来るのだし、いつまでも迎えに来てくれと駄々をこねられるよりは余程ましだ。

かくして2015年5月7日、シオンは初めて一人で帰宅することになった。学童へは連絡帳で今日から一人で帰る旨を伝え、フォローをお願いしておいた。帰りの時刻は、初日は早めの方がよいだろうと思い午後4時にした。

私は自宅ワークの日だったが、4時が近づくにつれて次第に落ち着きを失いはじめた。

学童から自宅までは、歩いて10分ぐらいの距離だ。4時ちょうどに出発すれば、4時10分頃にはマンション1階共用玄関のインターフォン前に到着するはずだ。

シオンにはまだ鍵を持たせていないので、ピンポ〜ンと鳴ったときに私がすぐに応えてやらないと、きっと心細いに違いない。よし、鳴ったらすぐに出てやろう。

そんなことを考えながら、インターフォンのモニターの前で中腰の姿勢で待ち構えていると、急にトイレにいきたくなってきた。緊張のあまり便意を催すというのは、悲観的で心配性の人間には決して珍しいことではない。だが、わが子が帰宅するというだけでここまで緊張するのは、我ながら少し情けない気がした。

だが、情けないのはどうでもいい。問題なのは、今トイレに行ってしまうと、ピンポ〜ンが鳴ってもすぐに応えてやることが出来ず、息子が1階で途方に暮れてしまうかもしれないということだ。

だから、ここは我慢するしかない。仮に粗相をしたとしても、自宅だから大問題にはなるまい。

とはいえ、さすがに粗相は避けたいと思い、いつもカバンに入れている「ストッパ下痢止めEX」を口に含み、がりがりと囓る。

薬本来の効能に「薬を飲んだんだから大丈夫だ」という安心感、さらには「絶対にすぐに出てやらねば」という責任感(執念?)が加わり、便意はたちまち消失。

文字どおりほっと一息ついたところに、タイミングよくピンポ〜ンと呼び出し音が鳴った!

よし、帰ってきた! 呼び出し音が鳴り終わるのとほぼ同時に通話ボタンを押す。ちらりと時計を見ると時刻は4時22分になっていた。

モニター画面には、見慣れた1階の共用玄関が映っている。が、人がいない。えっ、と思い、「お帰り」を言うよりも先に「シオン、いるの?」と思わず聞いてしまった。

「パパ、一人で帰ったよ」

こちらの問いかけに、答が返ってきた。確かにシオンの声だ。だが、相変わらず姿が見えない。どこかに隠れたのかと思いながらよく見てみると、画面の下の方に黄色い通学帽が映っている。

私が普段インターフォン越しに話をするのは、宅配便の業者さんか、鍵がすぐに見つからないので開けてくれと言う妻だ。大人の場合は、たいてい画面の中央かそれよりも少し上の位置に顔が映る。

だが、シオンの場合、呼び出しボタンに手が届く位置まで近づいて話をしようとすると、頭しか画面に入らないのだ。

これまでの経験から「顔は当然真ん中に映るもの」と思い込んでいたせいで、シオンの帽子にすぐに気づくことができず、人がいないように見えていたというわけである。

姿が見えなかった謎も解け、無事帰宅したことに安堵しながら「解錠」と書かれたボタンを押す。画面の中で玄関のドアが開き、シオンが元気に駆け込んでいく。その姿を見ながら、心の中で思わずこう呟いた。

「まだ、こんなに小さいんだ……」

早生まれの割りには同学年の中では背が高く、体重も、朝どうしても起きないときに抱き上げようとすると思わずよろけてしまうほど増えたシオン。

以前は自分のことを「シオン」と言っていたのが、最近はもっぱら「オレ」と言うようになったシオン。

廊下の明かりが消えていると、いまだにちょっとトイレに行くのを怖がるけれど、でも、もう一人で学校の行き帰りが出来るようになったシオン。

少しずつだが日々成長していく姿に接していると、「大きくなったな」「りっぱになったな」「すごいな」と感動し、喜びを覚えることが多いのだが、こうして改めて見ると、まだこんなに小さいんだ……。

これからも毎日やれること、やりたいことが増えていくだろう。やれることはどんどんやらせよう。やりたいことも、できるだけやらせてあげよう。

と同時に、まだ子供であることも忘れないようにしよう。

シオンが感じるランドセルの重さは、私が感じるよりもずっと重たいに違いない。

私が歩けば10分の道も、シオンが歩けば22分はかかるんだ。

シオンがシオンのままで、シオンのペースで成長できるよう、パパはしっかりサポートするからね。

そう心に誓ったところで、今度はわが家の玄関でインターフォンがピンポ〜ンと鳴った。

別の日に撮ったモニター画像。黄色い帽子が見えています。
別の日に撮ったモニター画像。黄色い帽子が見えています。

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