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エッセイ

父の願い

昨夜のこと。ふとしたことがきっかけで、息子が宿題の計算ドリルを、こっそり答えを写しながらやっていたことが判明した。

先日も同じことをやって叱られたばかりなのに、まただ。こういう癖がついてしまうのはやはりまずかろうということで、息子と話し合うことにした。

不思議と怒りの感情は湧いてこず、「この子のために」という気持ちで、自分としては落ち着いて話をしていたつもりなのだが、息子の方はひどくおどおどしている。

なぜやったのか、理由を言ってごらんと尋ねても、しどろもどろの説明で聞いていてちっとも分からない。

息子の話に辛抱強く耳を傾けているうちに、ふと、「パパはいまはまだ優しいけど、このあとものすごく怒られるんじゃないか」という不安のせいで、落ち着きを失っているのではないかという気がしてきた。

「解答集を見ながら宿題をやるなんて、別にたいした問題じゃない。パパだってしょっちゅうやったことがある。だから、それぐらいのことで雷を落とすつもりはないんだよ」

ひとまず息子を落ち着かせようと思って、こう言った。

息子は少し安心したようだったが、代わって「じゃあ、どうしてお話ししてるの」とでも言いたげな不思議そうな表情になった。

私自身も先ほどのような言葉を語りながら、「じゃあ、いったい何を話したかったんだっけ」と自問自答することになった。

「この子のために」という思いで話し合いを始めたのは間違いないが、この子に何を伝えたかったのだろうか。状況的には「答えを見ながら宿題をするのはずるいことだ」とか「そんな勉強のやり方じゃ自分の身にならない」とか「ずるい人は人から信用されなくなるよ」といった、いかにも親らしいメッセージを伝えるために話し合いを始めたのだと自分でも思い込んでいた。

が、本音では「これぐらいのこと、自分もしょっちゅうやったことだし、それで人生狂うわけでもない。ドリルはずるしたけど、計算はちゃんとできるようになった。大学にも行けた……」などと思っている。

では、単に形式的に小言を言うつもりだったのかと言えば、そうではない。何か「この子のために」伝えたいことがあるのは間違いない。

そう思いながら、ずるしたことが分かってから今までの、短い間の出来事をふり返ってみる。印象に残る場面は二つあった。

一つは「シオン、もしかしたら答見ながらやった?」と尋ねたときの、ビクリとした息子の表情。

もう一つは、「本当のこと言ってごらん」と言われながらも、何とか逃れられないものかとしどろもどろになりながら、つじつまの合わない話をしている息子の姿だ。

二つの場面を思い出すと同時に、本当に言いたかったことが自分にも初めて分かった。

「悪いことがばれるんじゃないかと思いながら、ビクビクしているときはどんな気持ち?」

「すごくいやな気持ち。怖い気持ち」と息子。

「でしょう? シオン、大切な人生をそんな気持ちで過ごすなんていやだよね。ずるしたことがばれないか、嘘がばれないか、どうぞばれませんようにって、ビクビクしながら生きていくなんて、とってもいやだよね」

「うん……」

「だったら、そんな思いをしなくていいようにしなきゃ。もし、疲れて宿題やるのがいやだったら、パパにそう言って。そしたら、どうすればいいかパパ一緒に考えるから。自分で悪いことだなって思いながら答え写したら、写してるときもドキドキするし、写し終わった後だってずっとドキドキするよね。パパ、シオンがそんな気持ちで生きていくなんて悲しいよ。それに宿題でずるするよりも、うんと悪いことしてしまったら、ずっとずっとビクビクして生きていかなくちゃいけなくなるんだよ。だから、大きいことでも、小さいことでも、その後ビクビクしながら生きていかなくちゃいけないようなことは、やらないようにしようね。ちゃんとパパやママに相談しようね」

語っているうちに、自分でも意外なほど熱がこもってきた。

最愛の息子には、後ろめたさや不安を抱えながらの人生だけは歩んでほしくない。普段意識したことはなかったが、ふり返ってみると、息子が生まれてからの七年間、そのことをひたすら願い続けてきたように思う。

そしてこれからも、父親としてずっと同じことを願い続けることだろう。

「父の願い」への3件の返信

お父さんも、ご子息もこうやって成長をされているのですね。自分が愚息とどう関わってきたのか、大昔を思い起こしてみたが、恥じ入ることだらけでした。別件ですが、W大のラグビー部、今までのゴミ掃除をして新体制を作るために苦労をしている山下新監督を応援すべく、友人たちとほとんどの試合の応援に今年は行く予定をしております。弱い時ほど応援をしてあげないとね。

シオンを見ていると、やることなすこと昔の自分にそっくりで、まるで人生をやり直しているかのようです。そういう意味では、子供のおかげで自分も成長させてもらっているのでしょうね。
ラグビーは久しく応援に行っていませんが、テレビ中継があるときは、画面の中に久富さんの姿を探しつつ、共に声援を送りたいと思います!

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