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日記

天皇陛下のお気持ちを聞いて

去る8月8日、天皇陛下が、象徴としてのお勤めについてのご自身の気持ちを表明された。

映像を見ながらまず感じたことは、「もう今の仕事を続けるのは辛いので、そろそろ辞めたいと思う」ということを、家族や親しい人々ならともかく、日本国民すべてに向けて告げなければならない立場、しかも告げたからといって法律上の問題等もあり、すぐには辞められない立場の、われわれ凡人には計り知れない「重み」である。

自分と比較するのはいささか不謹慎だが、かつて就職先を決めるときも、その会社を辞めるときも、翻訳家として活動を開始するときも、さらには、その後人材開発関連の仕事を始めたときも、私は私の思い通りの選択をすることができた。もちろん家族には相談したつもりだが、家族に言わせれば相談というよりも事後報告に近かったことだろう。

私などとは比較にならないほど、己の役割に対する責任感や使命感の強い人は大勢いるが、そうした人々であっても「どうしても続けれらない」となれば辞めることはできる。

先日、元横綱千代の富士が亡くなったが、その偉業を振り返るニュース番組の中で、現役を引退する際の記者会見の模様が放映されていた。そこに写った大横綱は、「体力の限界。気力もなくなった」と涙ながらに引退の理由を語っていた。

横綱の引退ともなれば、家族や親方、後援会関係者など多くの人々に相談したに違いない。相談された人の中には「ご苦労様でした。しばらくは、ゆっくりしてください」と言う人もいただろうが、「まだやれるはず。もう少し頑張ってみては」と慰留に努めた人もいたことだろう。

だが、最終的には本人の思いが通り、引退ということになった。

しかしながら、天皇の場合はそうはいかない。相撲界における横綱という地位、立場も相当に重いものだと思うが(だからこそ、気力の塊のような千代の富士ほどの人が、「これからも、その重みに耐えていくだけの気力を保てそうもない」といって引退したのである)、辞めたいと思い、その思いを人に伝え、多くの国民の理解と同情を得てもなお辞められない天皇という位の重さたるや、「まったくもって想像を絶する」という陳腐な言い回しで表現することしかできない。

この世に生を受けた瞬間から「皇太子」という役割を担い、実の父親が亡くなった瞬間から、悲しみに浸る暇もなく、日本国民の象徴たる天皇という役割を担い続けた今上天皇の人生。

選択の余地などない中で、自分の役割から逃げず、むしろ積極的にその勤めを果たすことのすさまじいばかりの大変さを思うと、天皇制というものに対する思いや考えはひとまず置いておいて、「ご苦労様でした。われわれ日本人のために、いろいろとありがとうございました」と素直に感謝の言葉を述べたい気持ちになった。

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