テレビでも新聞でもネットでも、高倉健死去のニュースが大きく報じられている。
高倉健というスターが存在することは子供の頃、つまり1960年代から知っていた。
だが、当時はほとんど動いている彼の姿を見たことがない。
なぜなら、あの頃の高倉健は子供が見るような映画には出演していなかったからだ。
それにも関わらず、何となく名前は知っていたし、顔も思い浮かんだ。
考えてみると、すごいものである。さすがスターだ。
そんな、私にとっては「すごい人らしいけどよく知らない映画俳優」であった高倉健が俄然身近な存在として立ち現れてくる出来事が起こった。
今調べてみると、それは1971年、私がちょうど10歳になる年のことである。
その年、高倉健は妻である江利チエミと離婚した。
小学生だった私が、ワイドショー的な番組を見ていたはずはないのだが、なぜかそのニュースは大きなインパクトを伴って私の元に届いた。
なぜインパクトがあったかといえば、江利チエミの方は子供の私でもよく知っている、健康的で明るいイメージのスターだったからだ。
私の親の世代にとって、江利チエミといえば、まず何よりも実力派の大歌手であり、美空ひばり、雪村いづみと共に三人娘と呼ばれた大スターである。
が、我々子供にとって、江利チエミとはサザエさんであった。
と言われても何のことだかわからない若い方のために説明しておくと、私が幼稚園の頃、実写版の『サザエさん』がテレビで放映されており、その主人公を演じていたのが江利チエミだったというわけだ。
(ちなみに、マスオさん役は川崎敬三だった)
サザエさん役なので憧れの対象というわけではないけれど、陽気で、明るくて、楽しい、何となく親戚のおばちゃんにいてほしいなと思わせる存在、それが私にとっての江利チエミだった。
そんな親戚のおばちゃん、江利チエミが離婚した。
きっとおばちゃん、悲しんでるんだろうな。 いったいだれが、おばちゃんを悲しませたんだ?
こいつか!(夕刊に載った週刊誌の広告か何かで写真を見つけて)
なに、高倉健?
おっ、『網走番外地』の奴じゃないか(なぜか子供でもこのタイトルは知っていた)。
許せん!
こうして、「すごい人らしいけどよく知らない映画俳優」であった高倉健は「おれの大好きなおばちゃんを悲しませたけしからん奴」になって(されて)しまった。
今回、高倉健死去を伝える記事の多くが、江利チエミとの離婚の真相や離婚後高倉健が独身を貫き通したこと、若くして亡くなった元妻の墓参りを欠かさなかったことなどを併せて報じている。
私にとっては、どれも初耳の話ばかりだった。
高倉健さん、ごめんなさい。
あなたは、子供の頃のおれが思っていたような人ではなかったんですね。
あなたも、元の奥さんと同じぐらい、あの離婚で辛い思い、悲しい思いを味わったのですよね。
本当にごめんなさい……。
高倉健さんのご冥福を心よりお祈りいたします。