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エッセイ

シオンの悔し涙

今日はシオンと妻が通う古武道教室の錬成大会。

日ごろの精進の成果を披露する大会で、シオンは「型」と「板の試し割り」の2種目に出場した。

日曜日だというのに、生憎、私は仕事で見にいくことができず、出先から「頑張れ」と声援を送ることしかできなかった。

シオンが出場する板の試し割りというのは、大人が跪いて固定した木の板を足刀で割るというもの。

前日、自宅で練習したときには上手に何枚も割っていたので、本人も自信満々で臨んだ本番だったのだが……。

仕事が終わり、さっそく妻に「シオン、割れた?」とメッセージを打ったところ、以下のような返事が戻ってきた。

賜恩と●●くんは割れなかった。賜恩は我慢して、帰りの車で大泣きした。

そうか、割れなかったか。

私にとっては板が割れても割れなくても大した違いはないが、本人はさぞやショックを受け、悔しい思いをしているに違いない。

「人生」という長いスパンで考えれば、こういう体験こそありがたいものであり、シオンの内面的成長に必ずやプラスの影響をもたらすものであることは、大人であれば誰でも分かる。

だが、小学2年生になったばかりのシオンが、今日の出来事をそんな風に受け止められないことも、大人であればやはり誰でも分かることだ。

帰宅すると、シオンは健気にも公文の宿題をやっているところだった。

だが、表情は明らかに暗く、目もうつろだ。

私は急いでジャケットを脱ぎ、続けてシャツと下着を取って上半身裸になった。

そして、シオンに「おいで」と声をかけた。

シオンは公文の宿題をやめ、私に抱きつくと、声を出して泣き始めた。

「板、割りたかったよぉ」

「よし、よし。一生懸命やったんだよね。だったらそれでいいんだよ」

こういうときに大人が言いそうなことを言いながら、抱きしめる。

予想通り、シオンの涙と鼻水とよだれで私の胸はぐしょぐしょだ。

でも、いいんだ。そうなるとわかって、上半身裸になったんだから。

シオンは何も言わなくなったが、涙はなかなか止まらない。

これまで泣いているシオンを何度こうして抱きしめただろう。

けれども、今のシオンは悲しくて泣いているのでも、叱られて泣いているのでも、痛くて泣いているのでもない。

悔しくて泣いているのだ。

7年と数ヶ月というこれまでの人生の中で一番の悔しさを感じながら、私にぴったりとくっついて泣いているシオン。

「パパ、割れたよ」と得意げに報告したかったのだろう。

だが、割れずに悔し涙にくれる経験は、成功体験以上の成長をこの子にもたらしてくれたはずだ。

シオン、お疲れ様。よく頑張ったね。

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