先日、電車内のディスプレイ画面を見ていると、「“うなぎの蒲焼き”への家計支出が1年で最大になるのは土用の丑の日。それでは“すし”への家計支出が年間で最大になるのはいつ?」という問題が映し出されていた。
1年で一番すしが食べられる日ねぇ。いつだろう。ほんの一瞬考えたが、答えはすぐにわかった。
元日だ。
わが家では、元日の夕食に必ず鮨を食べる。妻と子どもと共に実家の父を訪ね、日が傾きかけた頃に近所の鮨屋に繰り出すというパターンが、ここ数年の間にすっかり定着したからだ。
元日の鮨屋は結構空いていて、時間帯によっては店にいるのが我々一行だけということもある。
では、職人さんたちが暇そうにしているかというと、そんなことはない。そんなことはないどころか、一瞬たりとも鮨を握る手を休めることができないほどの忙しさで、厨房内には注文するのもはばかられるような殺気が漲っている。
なぜか。
答えは、ガラスケースの上に所狭しと積まれた寿司桶を見ればわかる。
そう、出前である。
朝、昼とおせちや雑煮が続くと、さすがに元日の夜には違ったものが食べたくなる。とはいえ、初詣やら来客への応対やらでくたくたで料理をするのも億劫だ。そうなると、あの家でもこの家でも「お鮨でも取りましょうか」という話になり、その結果、職人さんたちが切羽詰まった表情で鮨を握り続けることになる。
あるいは、単純に「お正月だし、ちょっと贅沢しようか」ということで出前を頼む家庭も多いに違いない。
出前が増える正確な理由は何であれ、毎年元日の夜に繰り広げられる鮨職人たちの奮闘ぶりを目撃している私としては、「“すし”への家計支出が年間で最大になるのは元日、すなわち1月1日」という答えは当たり前すぎて、なぜこんな簡単な問題をわざわざ出すのだろうという疑問さえ感じ始めていた。
が、しかし……。
十秒ほどの間を置いて、スクリーンに表示された答えは……。
なんと2月3日、つまり節分ではないか!
「えっ? 問題って豆代だっけ?」
まさか不正解になるとは思っていなかったせいか、疑問文の体裁をとった言い訳が思わず口をついて出そうになる。
続いて映し出された解説によると、節分に恵方巻きを食べる習慣が全国的に広まった影響で、この日が1年で最も“すし”への家計支出が多い日になったとのこと。
だが、私はその説明を読んでも、どこか釈然としないままつり革を握りしめ、とっくに次の番組に切り替わったスクリーンをにらみ続けていた。
「恵方巻き? あれって“すし”だっけ?」
恵方巻きが“すし”であることは疑いがない。そんなことは自分でもよくわかっている。事実、わが家でも3、4年前から(確か、子どもが3歳になった頃から)、スーパーで恵方巻きという名の海苔巻きを購入するようになったのだから。
したがって、本音の部分では、正解が節分の日であると言われて、「あ、なるほどね。確かにそうですよね」と言いたい気持ちは十分にあった。
では、言いたい気持ちが十分ありながら、素直になれなかったのはなぜか。
それは、自分の「思いこみ」に気づかされ、そんな思いこみを抱いていた自分自身が何となく腹立たしくなったからだ。要するに八つ当たりである。
自分は問題を見た瞬間から「“すし”=握り鮨」だと勝手に決めていた。問題文には“すし”とひらがなで書いてあったにも関わらず、馴染みの鮨屋の屋号「○○鮨」から、頭の中では当然のように「鮨」という漢字を思い浮かべ、思考の対象を江戸前鮨に限っていた。
しかも、江戸前鮨にも巻き物は存在するのに、自分の好みに基づいて「握り」に限定するという視野狭窄ぶり。
問題が出されてから自分なりの答を導くまでの間、恵方巻きはおろか、五目寿司も、ばら寿司も、カッパ巻きも、鉄火巻きも、納豆巻きも、普通の海苔巻きも、いなりも、なれ寿司も、バッテラも、茶巾寿司も、まったく頭に浮かばなかった。どれも好物で、目の前に出されると「おお、すしだ、すしだ」と歓声を上げながら、瞬く間に平らげてしまうというのに!
腹立たしさが、次第に情けなさに取って代わられる……。
その後の私は、つい先ほどまで「なぜこんな簡単な問題を」と鼻高々だった人間と同一人物とは思えないほどうちひしがれ、思わずへたり込みそうになるのを両手でつり革にしがみついて何とかしのぎ、「そうだよなぁ、恵方巻きもすしだよな」と心の中でつぶやきながら、目的の駅までの時間を空しく過ごすことになったのである。