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エッセイ

悲劇はそのとき訪れた——腰痛を抱え雪道を歩く

昨日からの予報通り、今日は朝から本格的な雪となった。朝の5時過ぎに目が覚め、カーテンを開けると、すでにかなりの雪が積もっている。

早起きしたのは、天気予報が当たっているかどうかを確かめたかったからではない。また、道路の状況が気になったからでもない。

腰があまりにも痛くて目が覚めてしまったのだ。

この痛みでは、今日仕事に行くのはやめた方が良さそうだ。多少無理をすれば行けないこともないが、下手をして悪化させると、明日からの仕事に響きかねない。実は今夜から出張に出て、明日、明後日と2日間、某社の研修で講師を努めることになっているのだ。

今日は仕事といっても社内の打ち合わせとミーティングなので、関係者には申し訳ないが、大事をとって休ませてもらうことにした。

それにしてもすごい雪だ。交通機関が乱れるのは目に見えている。もしかすると、今日一緒に仕事をする予定だった相手に「雪で外出するのが億劫になって、仮病でも使っているんだろう」と疑われるのではないかとも思ったが、無論仮病ではない。

そのことを証明するため、というわけではないが、病院には行っておかねばなるまい。夕方まで家で安静にしていれば痛みが和らぐという保証はない。なんとしても今夜は研修先に向けて出発しなければならないのだ。

8時半頃家を出て病院に向かう。だが、一歩外へ出た途端、思わずたじろいでしまった。

室内の移動すら思うにまかせないというのに、健康な人でも大いに難儀しているこの雪道を(ところどころアイスバーンと化している)歩いて行けるのだろうか。

だが、迷っている場合ではない。歩くよりほかに道はないのだ。意を決して最寄りのバス停を目指すことにする。

「ううっ」

「うわっ」

「うぐっ」

一歩進む度に声が漏れる。

「うむっ」

「ふぐっ」

「ぐわっ」

苦労する割には移動距離が伸びない。

大人はもちろん、保育園に向かう子どもにも易々と追い抜かれる始末。のろのろと歩いているうちに、体が芯から冷えてきた。

(もう少しだ。もう少しでバス停だ。)

心の中でそう呟き、自分を励ましながら、孤独に八甲田山死の行軍を続ける。

どれぐらいたった頃だろう。ようやく目の前にバス停が現れた。

「やった。やっと着いた」

バス停がこんなにありがたく思えたことは、未だかつてなかった。これでもう歩かなくて済む。バスを待つ人々の列に加わり歩行の辛さから解放されると、それと入れ替わるように寒さが実感され始めた。早くバスに乗り込んで温まりたい。

バスが来たらさっさと乗れるよう、あらかじめSuicaを用意しておこう。そう思って手袋を外しカバンに右手を差し入れた瞬間、腰の痛みとは別の、何とも形容しがたい、いやぁな感覚に襲われた。

何らかの事態が生じ、それが何なのか、左脳はまだ言語化しきれていないが、右脳の方ではそれが何であるかを一瞬にして、しかも正確に把握してしまったときに感じる、あの独特の感じ。いわゆる嫌な予感というやつだ。

ああ、そして、嫌な予感というのはなぜいつも当たるのだろう。

Suicaの入った財布を取り出すべく手を差し入れたはずなのに、私の指先は空しく虚空をまさぐるばかり……

現金、カード、Suica、診察券、保険証——バスで病院に行き、診察を受けるために必要なものすべてが収められた財布を家に忘れてきてしまったのだ。

当初の目的を達成するには、やっとの思いで歩いた道を「ううっ」「うわっ」「うぐっ」と呻きながら自宅まで引き返し、財布をカバンに入れ(その前にSuicaや診察券が入っているか絶対に確かめなければならない)、そこから再びこのバス停まで「うむっ」「ふぐっ」「ぐわっ」と恥ずかしい声を漏らつつ戻ってこなければならない。

もういやだ……

思わずその場でへたり込みそうになるが、腰が痛くてそれもできない。

半ば放心状態となりながら、腰をかばいつつゆっくりと回れ右をする。つい先ほど自分がつけた足跡が、つま先の方をこちらに向け、いつもよりずっと狭い間隔で並んでいる。

もう何も考えるのはよそう。考えれば考えるほど辛くなるだけだ。そう心に決め、ただ黙々と自分の足跡を逆方向に辿っていった。

2分ほど歩いた頃、本来なら乗っているはずのバスが、雪解けの泥水を跳ね上げながら、傍らを走り抜けていった。

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