今日は満56歳の誕生日だった。
8日前に入院し、3日前に退院。
期間は6日間と短かったが、自分の年齢のこと、健康のこと、8歳の息子のこれからのことなど、あれこれと考え、その都度不安に襲われ、息苦しさに悶え苦しんだ入院生活だった。
今日は満56歳の誕生日だった。
8日前に入院し、3日前に退院。
期間は6日間と短かったが、自分の年齢のこと、健康のこと、8歳の息子のこれからのことなど、あれこれと考え、その都度不安に襲われ、息苦しさに悶え苦しんだ入院生活だった。
2017年1月3日、アメリカ耳鼻咽喉科頭頸部外科学会が診療ガイドラインの最新版を発表しました。
診療ガイドラインだけあって内容は専門的なようですが、われわれ一般人に理解できる言葉で核心部分を表現すると、要するに「耳かきしちゃ駄目!」ということ。
ガイドラインによると、アメリカでは、子どもの10人に1人が「耳垢栓塞」という症状に悩まされているそうです。耳垢栓塞とは、読んで字のごとく、耳垢によって耳の穴がふさがれてしまうことですが、その原因の一つが耳かきのときに耳垢を奥に押し込んでしまうこと。
そんなリスクを冒してまで耳かきすることはない!というわけです。
好きなだけえさを食べたサルよりも、カロリーを70%に制限したサルの方が健康で長生きしたという記事が2017年1月17日、”Nature Communications”に掲載されました。
では、人間の場合はどうなでしょうか。人間とサルは極めて近い生物というイメージですが、まったく同じというわけではありません。今回の結果はあくまでもサルの話で人間は別という可能性もありそうですが、「いやいや、人間にも同じ事が当てはまりそうだぞ」という説もあるようです。
本日(2017年1月24日)の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)で紹介されていた情報を、自分の備忘録代わりとしてまとめておきましたので、興味のある方は是非参考にして下さい。
数日前、小田原市の生活保護を担当する市職員たちが「保護なめんな(HOGO NAMENNA)」などの文字がプリントされたジャンパーを着用していたという問題が報じられていた。
2007年、生活保護を打ち切られたことに腹を立てた男が、同市職員を杖やカッターナイフで負傷させる事件があった。
今回問題視されたジャンパーは、その事件の後、生活保護を担当する職員たちが「不正受給許すまじ!」の思いを込めて作った物だという。
ジャンパーの背中には、その思いを表現した英文があしらわれており、それを日本語に訳すと次のようになるそうだ(テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』で紹介されていた訳文)。
去る1月14日、15日の2日間にわたって、毎年恒例の大学入試センター試験が行われた。
私が大学を受験したのは36年前。今のセンター試験は共通一次試験という名称で、私が高校3年生のときは、確か導入されてまだ3回目だったと記憶している。
親や高校の担任からは国立大学を受験するよう勧められたが(学費のこともあるので、親は勧めるというよりは懇願するという感じだった)、私は早稲田の第一文学部にしか興味がなかった。それ以外の大学、学部はたとえ合格しても行くつもりはなかったので、共通一次は受けなかった。
もちろん今後自分が受ける可能性はほぼゼロだが、あと10年もすると現在小学校2年生の息子が受験することになるかもしれない。そう思うと、どの程度の問題が出ているのか確かめたい気持ちが起こって、15日と16日の朝刊に掲載されていた試験問題と正解のページを抜き出し、後でチャレンジしてみることにした。
今日は息子の8歳の誕生日。
妻も有給休暇を取り、お昼を食べた後、一家3人で近くの神社にお参りに行った。
先日の初詣に関する投稿で、かつてはまともにお参りなどしたことがないという話をしたが、妻の妊娠が分かってからは、だいぶ事情が変わってきた。
今朝、テレビを見ていたら、ニュースなどでお馴染みの、東京駅丸の内口前交差点の様子が写し出されていた。横断歩道の手前に佇む大勢の通勤者が、歩行者用信号が青になると同時にどっと渡り始めるという、例の映像だ。
この種の映像を見るたびに思うのだが、テレビ局は映っている人全員から許可を得た上で放映しているのだろうか。おそらく、そんな手間のかかることはやっていないだろう。
では、本人の許可なく放映しても構わないのだろうか?
お正月になると一富士二鷹三茄子という言葉をよく耳にするようになります。私がこの言葉を初めて聞いたのも、小学校低学年のお正月のことでした。
そのときは、「富士山も鷹も本物は見たことがないけど、茄子だけはよく食べるなぁ」と思っただけで、それが縁起がいいものだと言われても、ちっともピンと来ませんでした。
以来約半世紀、ずっとピンと来ないままというのもいささか情けないので、ちょっと調べてみました。
昨日、初詣の「初」の定義が曖昧だという趣旨の投稿をしました。また、その投稿中で、「同じ『初』がつく言葉でも『初日の出』の場合は、『元旦の日の出』と定義が明確なので、人による解釈の違いが生じようがない」とも書きました。
その記事をアップしてから数時間後、「初」の定義が曖昧な言葉をもう一つ思い出しました。「初夢」です。
子どもの頃、元日に家族でお雑煮を食べていると、母親が私と弟に「初夢はどんな夢だった」と聞いてきたことがあります。
ちょうどお餅をもぐもぐやっているところだったので、飲み込んでから答えようと思っていたら、父親が「何を言っている。今晩見る夢が初夢だろう」と母親に反論し、それがきっかけとなって、おめでたい元日の食卓が父母の論戦の場と化してしまいました。