今朝、荻窪駅で地下鉄に乗ろうとした時、あることに気づき激しく動揺した。これから2泊3日の出張だというのに、自宅にスマホを忘れてきてしまったのだ。
すぐさまその場でタブレット端末を取り出し、妻にメッセージを送信。とりあえずこちらの状況は認識してもらえたが、これからの3日間の不便さが思われて、朝から憂鬱になってしまった。
今朝、荻窪駅で地下鉄に乗ろうとした時、あることに気づき激しく動揺した。これから2泊3日の出張だというのに、自宅にスマホを忘れてきてしまったのだ。
すぐさまその場でタブレット端末を取り出し、妻にメッセージを送信。とりあえずこちらの状況は認識してもらえたが、これからの3日間の不便さが思われて、朝から憂鬱になってしまった。
11月に家族でハワイに行くことにした。
ハワイはいいところだ。なんなら住んでもいいと思うぐらい大好きな場所だ。
私が幼い頃、ハワイは憧れの地だった。私にとってではない。日本人にとって憧れの地だった。
1960年代は誰もが気軽に海外旅行に行けるという時代ではなかった。
何気なく新聞を開き、プロ野球がセ・パ両リーグともクライマックスシリーズに突入していることを知った。今年もまた1試合も見ることなく、プロ野球シーズンが終わろうとしている。野球を見なくなって、いったいどれぐらいたつのだろう。
子どもの頃は大のプロ野球ファンだった。ひいきのチームはセ・リーグが阪神タイガース、パ・リーグが地元の西鉄ライオンズ。
だが、時代は巨人(ジャイアンツ)V9のまっただ中で、V9が達成されたのが丁度小学校6年生のとき。
つまり、プロ野球というものの存在を知り、少しずつ関心を持ち始めた幼稚園の頃から小学校を卒業するまでの間、巨人以外のチームが日本一になることはなかったということだ。
今日は息子シオンの運動会の日だ。シオンが通う子供園は園庭が狭いので、運動会は近くの区立小学校の校庭を借りての実施となった。
我が家は夫婦共働きのため、シオンは1歳のときから保育園に通い始めた。早いものでシオンも来春から小学生。今年は彼にとって5回目の、そして保育園・子供園生活を通じて最後の運動会である。
開始予定時刻は午前9時。園児の集合時刻は8時40分。
どちらも遅れてはならない大切な時刻だが、親にとってそれ以上に重要なのが8時50分という時刻である。
きのうは私の誕生日だった。
子どもの頃は、生まれたのと同じ日を毎年祝うことの意味がよく飲み込めず、周りからの「おめでとう」を、やや戸惑った気持ちで受け取っていたような気がする。
親が共働きで母は夕方まで戻らなかったこともあり、友達を自宅に招いて誕生パーティをやった記憶は一度しかない。確か幼稚園の頃だったと思う。
別に誕生日に哀しい思い出があるわけではなく、基本的にはハッピーな一日を過ごしていたと思うが、上に書いたとおり、何のためにお祝いするのかがよくわからなかった。
わからないと言えば、本当に自分は「10月16日」に生まれたのかどうか、これははなはだ疑問だぞという思いも強く抱いていた。
今日は53回目の誕生日だった。
子供のころの私には、誕生日が特別な日だという意識が薄く、1年365日のうちのごくありふれた1日という気持ちですごすことが多かった。
もちろん、「おめでとう」と言われれば「ありがとう」と答えたし、プレゼントをもらえば自然と感謝の気持ちが湧いてきたが、だからといって誕生日の到来を指折り数えて待つような子ではなかった。
フェイスブックを見ていると、「ちょっと早いですが七五三のお参りに行ってきました」という投稿がちらほらと見られるようになってきた。
本来は11月15日に行われる行事なので1カ月以上も早いということになるのだが、対象のお子さんが全員その日に神社に押しかけると相当に混雑するだろうから、むしろタイミングをずらした方が賢明と言えそうだ。
こんなことを書きながら、そういえばうちはどうだったかなと思い出そうとするのだが、わずか1年前のことなのに、11月15日よりも前にお参りしたのか、それとも後だったのか、まるで思い出せない。