一富士二鷹三茄子(いちふじ・にたか・さんなすび)ってそもそも何?
お正月になると一富士二鷹三茄子という言葉をよく耳にするようになります。私がこの言葉を初めて聞いたのも、小学校低学年のお正月のことでした。
そのときは、「富士山も鷹も本物は見たことがないけど、茄子だけはよく食べるなぁ」と思っただけで、それが縁起がいいものだと言われても、ちっともピンと来ませんでした。
以来約半世紀、ずっとピンと来ないままというのもいささか情けないので、ちょっと調べてみました。
慣用表現、ことわざ、格言などを扱った投稿です。
お正月になると一富士二鷹三茄子という言葉をよく耳にするようになります。私がこの言葉を初めて聞いたのも、小学校低学年のお正月のことでした。
そのときは、「富士山も鷹も本物は見たことがないけど、茄子だけはよく食べるなぁ」と思っただけで、それが縁起がいいものだと言われても、ちっともピンと来ませんでした。
以来約半世紀、ずっとピンと来ないままというのもいささか情けないので、ちょっと調べてみました。
昨日、初詣の「初」の定義が曖昧だという趣旨の投稿をしました。また、その投稿中で、「同じ『初』がつく言葉でも『初日の出』の場合は、『元旦の日の出』と定義が明確なので、人による解釈の違いが生じようがない」とも書きました。
その記事をアップしてから数時間後、「初」の定義が曖昧な言葉をもう一つ思い出しました。「初夢」です。
子どもの頃、元日に家族でお雑煮を食べていると、母親が私と弟に「初夢はどんな夢だった」と聞いてきたことがあります。
ちょうどお餅をもぐもぐやっているところだったので、飲み込んでから答えようと思っていたら、父親が「何を言っている。今晩見る夢が初夢だろう」と母親に反論し、それがきっかけとなって、おめでたい元日の食卓が父母の論戦の場と化してしまいました。
新年2日目の今日は、一家3人に義母を加えた4人で、義父のお墓参りに行って来た。
22年前に結婚して以来、元日は神社に初詣、2日は妻の実家のお墓参りというのが我が家のお正月のルーティンとなっている。
子どもの頃のお正月と言えば、お屠蘇におせちにお雑煮と食卓の上は正月ムード満載で、来客があったり、こちらから親戚の家を訪ねたりと、それなりに正月らしい過ごし方をしていたが、神社やお寺にお参りに行った記憶はほとんどない。
前回、前々回に引き続き、某ビジネスホテルのトイレに掲げてあった注意書きからのネタ、第三弾。
前2回は日本語と英語の表現の違いについて書いたが、今回は「抽象的表現VS具体的表現」について。
まずは今回も例の注意書きから。
1度に流すトイレットペーパーの量は5mまでを目安として下さい。 ※環境に配慮した省資源型の便器です。
Please do not use too much toilet paper. This may back up the toilet and cause it to overflow. Do not use more than 5m of toilet paper at a time.
初回にも書いたとおり、これを目にしたときに最初にドキッとしたのは、自分がいまどれくらいのトイレットパーパーを使ったかが、まったくわからなかったからだ。
先日投稿した雑文で、某ビジネスホテルに掲示してあったトイレの注意書きを素材に、日本語と英語の表現の違いを話題にしたが、今回はその続き。
まずは、前回話題にした注意書きを日英両語で再度挙げておこう。
1度に流すトイレットペーパーの量は5mまでを目安として下さい。 ※環境に配慮した省資源型の便器です。
Please do not use too much toilet paper. This may back up the toilet and cause it to overflow. Do not use more than 5m of toilet paper at a time.
この注意書きの中で、トイレを使った日以来ずっと気になっていた箇所がある。
それは「省資源型の便器」だ。
1度に流すトイレットペーパーの量は5mまでを目安として下さい。
用を足し、トイレットペーパーをカラカラと引き出していると、こんな注意書きが目に入ってきた。
トイレットペーパーを持つ手が思わず止まる。
いま、いったい何メートル引き出したのだろうか。
まったく見当がつかない。
先日、仕事である会社を訪問したところ、先方の課長さんが「この時期は新入社員の受け入れで、ホントてんてこ舞いですわ」とこぼしていた。
話のテーマは新入社員ではなかったのだが、社外の人間に、ついそんな風に訴えたくなるほど苦労されているのだろう。
「いやぁ、それは大変ですね。どこの会社さんでも新入社員、特に新社会人の受け入れは一苦労ですよね」
そんな風に受け答えをしながら、「受け入れる」という言葉について、こんなことを考えた。
自分が受け入れるという言葉を使うのは、大概、受け入れがたいものを受け入れるときだな、と。
以前、息子との「七転び八起き」を巡るエピソードを紹介しましたが、その記事を改めて読み返しているうちに、「隣り合った数字が使われていることわざ・言い回し・慣用句」がどれぐらいあるのだろうかと、ふと興味が湧いてきました。
近ごろは「ふと興味が湧く」と、無意識のうちにネットを検索することが多くなっているのですが、このときはそれでは少し面白くないような気がして、自分で書き出してみることにしました。以下はそのとき書き出したものを、後からカテゴリー分けしてまとめたものです。
その後に起こったことの衝撃が大きかったせいか、つい先ほどのことなのに話のきっかけが何であったのか思い出せない。
きっかけはともかく、息子シオンと風呂に入っていた私は、話の流れの中で「七転び八起き」という言葉を知っているかと尋ねたのであった。
「なにそれ?」