シオンの涙

ゴールデンウィーク中、実家に住む81歳の父を招き一泊してもらった。

そう遠くないところに住んでいながら、会うのは年に2、3回。6歳のシオンは大好きな「じいじ」とお風呂に入ったり、一緒に寝たりするのが待ち遠しくてたまらず、何日も前から「あと何回寝たらじいじ来る?」と同じ質問を繰り返していた。




 

待ちに待った5月3日、シオンと二人、車で父を迎えに行く。

川崎の実家から杉並のわが家までのドライブは実に賑やかで楽しいものであった。といっても、賑やかなのはもっぱらシオンで、大きな声で休むことなくおしゃべりを続けている。じいじが隣にいるのがうれしくて仕方がないのだ。

「ねえねえ、じいじ。じいじのこと、これからはヤスタダ君って呼ぶね」

昭和9年生まれの父は「靖国神社に忠誠を尽くすように」ということで靖忠と命名された。

だからヤスタダ君という呼び方は間違いではないのだが、息子の私からすると甚だしく違和感を覚える。自分の親を名前で呼んだことはないし、ましてや君をつけたことなどないからだ。

でも、シオンにとってはヤスタダ君という呼び名の方がしっくりくるらしい。

「だって、オレとじいじは友達だからね」

そう言われた父は「おう、おう、ありがとう、ありがとう」とうれしそうに答えていた。

その後、シオンはヤスタダ君とべったり。かねてからの計画通り一緒にお風呂に入ったときに、ヤスタダ君の背中を流してあげたそうだ。

寝るのも計画通り、ヤスタダ君と二人。相変わらずすさまじい寝相だったようで、夜中に何度もヤスタダ君を蹴飛ばしたのも、恐らくは計画通りなのだろう(ふだんは私が蹴飛ばされている)。

翌日、学童の上級生に教えてもらった将棋でヤスタダ君に挑戦するも完敗。このときだけは、べそをかきながらちょっとすねていたが、すぐに仲直り。

「ずっとヤスタダ君がいたらいいのになぁ」

ヤスタダ君が滞在したわずか一日の間に、シオンの口から何度この言葉がもれたことか。

だが、シオンの願いとは裏腹に、別れのときはあっという間に訪れる。

「電車で帰れるから送らなくていいよ」

父はそう言うのだが、少しでも長く一緒にいたいシオンがゆずらない。私も特に予定があるわけではないので、来たときと同じ3人組で川崎までドライブすることになった。

実家に着いたときはすでに夕方近く。ゴールデンウィークで道が混むかもしれないので、シオンの晩ご飯を考えると、とんぼ返りをした方が安全だ。

それでも、名残惜しそうなシオンを見ていると、「ちょっとだけでいいから、みんなで公園で遊ばない?」という提案を却下できなかった。

そうして三人で公園に行ったのだが、太陽は容赦なく西の空に傾いていく。

「さあ、さすがにもう帰ろうね」

しばらくしてそう呼びかけると、案外素直に「うん」という返事が返ってきた。




 

「じゃあね、ヤスタダ君。元気でね」

「おう、おう、ありがとう、ありがとう」

「また、遊びに来てね」

「おう、おう。シオン君も元気で頑張るんだよ」

実家の玄関前で、車の中のシオンと車の外のヤスタダ君が別れの挨拶を交わす。

「じゃあね!」

シオンの言葉を合図に私はアクセルを静かに踏み込み車を走らせた。

きのう3人で走った同じ道を、いまはシオンと二人で走っている。

きのうあんなに賑やかだったシオンが、いまは一言も口を利かずチャイルドシートに収まっている。

「寝たのかな」

そう思い、信号待ちの間に振り返ってみると、シオンは目に涙をいっぱいためて、こちらをじっと見つめていた。

「どうした?」

答は分かりきっていたが、念のために訊いてみる。

「ヤスタダ君に会いたい……」

そう言った途端、たまっていた涙が頬を伝ってぽろぽろとこぼれ落ちる。

私が余計なことを訊いたものだから、せっかくの我慢が台無しだ。

「だって、オレとじいじは友達だからね」

きのうにこやかにそう語っていたシオンの嗚咽が、狭い車中にいつまでも響き続けた。

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