『ダ・ヴィンチ・コード』を巡るシンクロニシティ体験(?)

今日、もしかするとこういうのをシンクロニシティというのかもしれないという体験をした。

昨日、家族でお台場に遊びに行き、ホテルに宿泊。

夜、子どもとHuluで『キングコング対ゴジラ』を観たのだが、子どもが途中で寝てしまったので、一人で『ダ・ヴィンチ・コード』を観ることにした。

公開当時話題になったので(いま調べてみると、何と10年も前のことだ)、題名はよく知っていたが、まだ一度も観たことはなかった。

「いつか必ず観てやろう」というほど強く惹かれていたわけではないのだが、一週間前に『シン・ゴジラ』を観に行った際、『インフェルノ』(『ダ・ヴィンチ・コード』の続編)の予告編が流れ、「そういえば『ダ・ヴィンチ・コード』っていう映画もあったよな」と思い出したのが、今ふり返ると、今日の出来事の引き金だったのかもしれない。

子どもは寝てしまったが、自分はまだ眠たくはない。じゃあ、何か観よう、そうだ、まだ観たことのない『ダ・ヴィンチ・コード』にしよう。

ということで見始めたのだが、2時間半の長編なので、さすがに途中で眠たくなり(話は面白かったが、なにしろ一日遊びまくったせいで肉体が普段以上に疲れていた)、一時中断。今朝再開して、最後まで見終わった。

面白かった。もっと早く観ておけばよかった。

そう思いながら、妻と息子と別れ、一人午後からの打ち合わせに向かった。

午後6時。打ち合わせ終了。

大崎から山手線で新宿まで行き、新宿で中央線の快速に乗り換える。いつもどおり3号車の前から2つめのドアに乗り込み、吊革につかまる。

斜め前の女性が熱心に文庫本を読んでいる。覗き見は品がないと思っているので、普段は人が読んでいる本や携帯・スマホは絶対に覗かないようにしている。

が、今日だけはなぜか、吸い込まれるように開かれたページの上に目が行ってしまった。

同時にラングドン、ソフィーというカタカナが目に飛び込んできた。

「えっ! この名前、もしや」

そう思ってページの左上隅に視線を移すと、そこには『ダ・ヴィンチ・コード(上)』の文字が。やっぱり、そうだった。

何の気なしに10年前の映画を観た同じ日に、赤の他人がその原作本を読んでいる場面に遭遇する確率はどれぐらいなのだろう。とても私には計算できないが、きわめて低い確率であることは予想できる。

この女性は、なぜ今日この場所で『ダ・ヴィンチ・コード(上)』を読もうと思ったのだろうか。勝手な思い込みかもしれないが、単なる偶然の一致以上の何かが彼女と私との間にあるような気がしてならない。

おそらくこういうのをシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と言うのだろう。

が、その「意味」とは何だろう?

何としてもその意味を探りたかったのだが、さすがに声をかける勇気は湧いてこない。そうこうしているうちに、女性は阿佐ヶ谷で下車。

かくして「意味のある偶然の一致」の「意味」は「永遠の謎」と化してしまった。

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