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エッセイ

誕生日を疑う

きのうは私の誕生日だった。

子どもの頃は、生まれたのと同じ日を毎年祝うことの意味がよく飲み込めず、周りからの「おめでとう」を、やや戸惑った気持ちで受け取っていたような気がする。

親が共働きで母は夕方まで戻らなかったこともあり、友達を自宅に招いて誕生パーティをやった記憶は一度しかない。確か幼稚園の頃だったと思う。

別に誕生日に哀しい思い出があるわけではなく、基本的にはハッピーな一日を過ごしていたと思うが、上に書いたとおり、何のためにお祝いするのかがよくわからなかった。

わからないと言えば、本当に自分は「10月16日」に生まれたのかどうか、これははなはだ疑問だぞという思いも強く抱いていた。

親は「お前の誕生日は1016日だ」と言うが、自分には生まれた時の記憶がないので、本当にそれが10月16日だったのかどうか確認することはできない。本当は違う日に生まれたのに、誕生日は10月16日として届け出る、と親が勝手に決めたのかもしれない。

ひねくれた子どもだったんだねと言う人もいるだろうが、そこにはちゃんとした理由があるのだ。

それは弟の誕生日を巡る話だ。

私の弟は本当は5月6日生まれなのだが、「せっかくだから」という理由で5月5日生まれとして出生届が出されていたのである。

私がこの事実を初めて知ると共に、自分の誕生日に疑念を抱き始めたのは、母が「○○(弟の名)に言っては駄目よ」と前置きした上で、「本当はこどもの日じゃなくて、5月6日生まれなの」と打ち明けてくれてからだ。

その話を聞いた私は心の中でこう思った。もしかすると私の誕生日も10月16日ではなく別の日なのかもしれない。母はそのことを私にだけ隠して、弟には「お兄ちゃんには内緒だけど、お兄ちゃんの本当の誕生日はね……」と真相を打ち明けているのかもしれない……

それ以来、弟に「お母さんからオレの誕生日のことで何か聞いてないか」と問いただしてみたい気持ちはあるのだが、予想が的中して「本当は別の日が誕生日だった」と言われると予想以上にショックを受けそうなので、ずっと訊けずにいる。

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