スマホを忘れて 〜地下鉄ドタバタ顛末記

今朝、荻窪駅で地下鉄に乗ろうとした時、あることに気づき激しく動揺した。これから2泊3日の出張だというのに、自宅にスマホを忘れてきてしまったのだ。

すぐさまその場でタブレット端末を取り出し、妻にメッセージを送信。とりあえずこちらの状況は認識してもらえたが、これからの3日間の不便さが思われて、朝から憂鬱になってしまった。

私が携帯電話を使い始めたのは2001年からなので、同世代のビジネスパーソンの中では遅い方だと思う。以前の会社に勤めていた1995年、阪神淡路大震災直後の大阪支社にサポート要員として派遣された際、「連絡にはこれを使うように」と渡されたのが、私と携帯電話との出会いであった。

同じ年の4月、思うところあって会社を辞め、翻訳家として活動を開始した。翻訳は基本的に自宅で行う作業なので、そもそも外出することがほとんどない。あったとしても、外出先から出版社や翻訳エージェントにすぐにでも電話をしなければならないことなどまずない。ちょうど電子メールが普及し始めた時期と重なっていたこともあって、日常的なやりとりはほとんどメール。ごくまれに(たいていは締め切りに遅れた時)電話がかかってくることもあったが、自宅の固定電話があれば用は足りた。

だから、携帯電話は必要なかったし、必要のないものを流行だからという理由で持とうとは思わなかった。

こうした状況に変化が訪れたのは2001年9月、企業研修大手某社の業務を受託し、研修トレーナーとして活動するようになってからだ。同社から携帯電話は必ず持ち歩くようにというお達しが来たため、しぶしぶ近所の携帯ショップに行ったのを覚えている。

私はもともと電話というものが好きではなく、家庭用電話機に留守電機能が付くようになって以降、基本的にかかってきた電話には出ないようにしている。留守電にメッセージを残そうとして話し始めた声が家族や友人のものだとわかれば、その時点で「悪い、悪い、ちょっとトイレ行ってたもので」などと言い訳をしながら出ることもある。

また、最近だと相手の番号や名前が表示されるので、家族や友人からの電話だとわかれば、かなりの確率で出るようにはしている。しかし、それ以外の場合は、たとえ知っている相手(代表的なのは取引先)からであっても出ない。

それで仕事の方は大丈夫なのかと思われるかもしれないが、電話が通じないと、たいていはすぐにメールをくれるので何ら問題はない(少々自分勝手だとは思っているが)。実際、「なかなか電話に出てくれない」とか「連絡が取りづらい」と言われることはあったが、大きなトラブルにつながったことはない。

地下鉄の座席に着いて、こんなことを思い返していたら、激しく動揺したり憂鬱になったりした自分がおかしくなった。これまでの自分の「電話生活」を振り返ってみると、たかだか3日の出張にスマホを忘れていったからといって、何ら困ることはなさそうだ。

どうしても誰かと連絡を取りたくなったら、つい先ほどやったようにタブレット端末からメッセージやメールを送ればいい。子どもの声が聴きたくなったり顔が見たくなったりしたときは、音声通話だってビデオ通話だってできる。

もしかすると、タブレット端末さえ忘れなければ、自分にはスマホは不要なのかもしれないぞ。

こんなことを考えているうちに、激しい睡魔に襲われ、うとうとしはじめた。仕事の最終準備のため、今朝は4時起きだったからなぁ……

ふあぁぁぁ……

眠気を覚まそうと、ぐっと目を見開き周囲を見渡すと、スマホの画面に見入っている人がやたらと多い。

いったいみんな何を見ているんだろう……

ふあぁぁぁぁぁ……

東京駅で降りるつもりだった私のまぶたが次に開いたのは、終点の池袋!

状況を理解した瞬間、私はこの日2度目の、しかも1度目よりも遙かに激しい動揺に襲われたのだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です