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エッセイ

断酒宣言

 2015年12月31日 午前4時

 昨夜飲んだ焼酎のせいで、軽い二日酔い。目覚まし時計が鳴っているのはわかっていたが、ベッドから出られない。直接的な理由はもちろん眠たいからだが、なぜ眠たいかといえば飲み過ぎのせいであることは明らかだ。仕事が休みという気の緩みも手伝って二度寝。結局起きたのは7時過ぎで、寝坊助の息子よりも遅い起床となった。

 今日の予定は、お昼に馴染みのそば屋で年越しそばを食べることと、午後4時から息子のピアノのレッスンに付き添うことぐらいなので、7時に起きたからといって、見かけ上困った事態が生じるわけではない。

 だが、それはあくまでも「見かけ上」の話だ。今の私にとっては、午前4時から7時までの3時間の自由時間を失ったことが惜しくてたまらない。1日のうちで自分のため、自己啓発のために使えるのは、息子が寝ている早朝の時間帯以外にないのだから。

 息子が起きている間は、一緒に遊んだり、話をしたり、勉強やピアノの練習を手伝ったりと、ほぼ完全に息子のために時間を使うことになる。もっとも、それは嫌々やっていることではなく、自分から望んでしていることなので、何の文句もない。文句がないどころか、むしろ楽しくて仕方がない。

 仕事がある日も、時間は大幅に減るが、息子と一緒にいる間は息子のために時間を使うというパターンは基本的に変わらない。

 したがって、休日であろうとなかろうと、私が自分のために使える時間——コヴィーの『7つの習慣』に出てくる時間管理のマトリクスでいうところの第2領域(緊急でないが重要なこと)に充てることのできる時間——は、息子が寝ていて私が起きている時間しかないのである。つまり、息子が起きる前の時間と息子が寝た後の時間ということになるが、夜は息子を寝かしつけながら自分も寝てしまうことが多いので、必然的に早朝の数時間が私の時間ということになる。

 私の時間だから私の意思で寝ていてもいいわけだが、自分としてはこの時間を自分にとって「緊急ではないが重要なこと」に充てたい。明日55回目の正月を迎える身だが、それでもまだまだやりたいことはあるし、もっと成長したいとも思っている。若い人からすれば、「もう55なんだし、そんなに気張らなくても」と思うかもしれないが、人間いくつになっても夢は捨てられない。それに年齢を重ねてきたということは、その分残された時間が少なくなっているということでもある。だから余計に、自分の時間を失ってしまったことが悔しくて仕方がないし、貴重な時間であることがわかっていながら二度寝した自分が腹立たしくてたまらない。

 残りの人生、酒を飲む度に後悔するようでは、それこそ悔いの残る人生になるだろう。それは嫌だ。だったら、今日のこの後悔の原因となった酒を断とう!

 ということで、普段からほとんど酒は呑んでいないのですが、今日のこの苦い経験を今後の人生に活かすべく、2016年は完全断酒することを誓います!

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