旗振り当番

シオンが小学生になったのに伴い、これまで無縁だった地域活動にいろいろと駆りだされるようになった。

今朝は、子どもたちの横断をサポートする旗振り係を仰せつかり、通学路の途中にある交差点で30分ほど黄色い旗を振ってきた。

シオンの通う学校には、学年ごとの区割りとは別に全児童を地区ごとにグループ分けした地区班というものがあり、集団登校や集団下校が必要な場合はこの班ごとに行われている。保護者の活動も地区班単位で行われることが多く、今回の旗振りもその一つだ。

わが班は6月25日から、夏休みをはさんだ8月26日まで、近所にある警察署前の交差点を受け持つことになった。交通量が多いうえ、右折してくるバスもあり、わが家から学校までの間ではいちばん危険なポイントだ。

毎朝この交差点で子どもたちを見守る大人は二人。一人はシルバーボランティアの方で、もう一人がわれわれ保護者。そして今日6月29日の当番が私だったというわけだ。

班の世話人からのメールによると、早い子は7時50分頃から横断歩道を渡り始めるという。それまでに現地に到着するためには、シオンより先に家を出なければならない。

「シオン、じゃあ後でね」
「うん、パパがんばってね」

いつもの朝とは逆にシオンに見送られ、受け持ちの交差点に向かう。

交差点にはすでにシルバーボランティアの方が到着していた。初対面の挨拶を交わしているとさっそく子どもの姿が見えてきたので、旗振りのこつを手短に伝授しいていただき、持ち場につくことにした。

私の持ち場は横断歩道の校門に近い側で、ベテランのボランティアさんが校門から遠い側に陣取る。つまり、子どもたちはボランティアさんのいる側から横断歩道を渡り始め、私の側で渡り終えるという構図となった。

最初はまばらだったが、数分もたつと青梅街道脇の歩道を後から後から小学生たちが向かってくる。

信号が青であればそのまま歩き続けるが、赤のときはボランティアさんを取り囲むようにして、信号が変わるのを待っている。

顔なじみなのだろう、ボランティアのおじさん(子どもたちからするとおじいさん)と笑顔で言葉を交わす子が何人もいる。中には、青ですぐに渡れるにもかかわらず、おじいさんと話をするためにわざわざ赤に変わるのを待つ子もいた。

私の方はといえば、旗振り役が初めてということもあって、顔なじみの子どもはシオンの昔からの友達が一人か二人いるぐらいである。

そのうちの一人が比較的早い時間帯に渡って行ったが、こちらをちらりと見ただけで挨拶もしない。この子に限らず、横断していく子全員に「おはようございます」「いってらっしゃい」と声をかけているのだが、挨拶を返してくれる子はほとんどいない。

ほんの数メートル離れた向こう側では、ボランティアのおじいさんとにこにこ話していた子たちも、初めて見るおっさんには明らかに警戒心を抱いているようで、さっさと通り過ぎていく。

ごくまれに、こちらに視線を向けて「おはようございます」と言ってくれる子もいるが、そういう子はたいてい上級生だ。

はたしてシオンはどんな風に横断歩道を渡っていくのだろうか。もうじき姿を見せるはずのわが子の行動が楽しみになってきた。

が、肝心のわが子がなかなか姿を現さない。

赤信号の合間にちらりと時計を見ると、いつもならとっくに通過しているはずの時間だ。

家で何かあったのだろうか。そう思い、赤信号になるのを見計らって(何しろ青信号中は忙しいので)家に電話を入れてみる。

妻の返事は、いつもどおりの時刻に家を出たとのこと。となると、何らかの理由でいつも以上にだらだら歩いているということになる。

妻はどうしてそんなにゆっくり歩いているのかしら、と不思議がっていたが、私にはその理由がわかるような気がした。

きっと、友達や上級生たちが見ている前で、私と顔を合わせるのが照れくさいのだ。

つい五ヶ月ほど前、シオンの通う子供園で餅つきが行われた。平日ということもあって、餅つき要員として参加できたお父さんは十名足らず。シオンはその中に私の姿を見つけて大喜びしてくれた。

つきあがったお餅を教室で食べる際には、自分の席の隣に椅子をもってきて、「パパ、オレといっしょに食べて!」と自慢げにお友達に紹介してくれたシオン。

そんなシオンの自意識に、この五ヶ月の間少しずつ変化が生じ、お友達の前で親と一緒のところを見られるのが何となく気恥ずかしくなってきたのに違いない。なぜそんなことがわかるかと言えば、自分もシオンと同じ年頃のときには、やはりそうだったからだ。

決して親が嫌いなわけではない。いつも照れくさいわけでもない(たとえば、お友だちとボール投げをするときには私が一緒でも全然嫌がらない)。でも、ある特定の状況では、何となく一緒にいるところを見られたくないし、話しかけてほしくもない。

そうだ、すっかり忘れていたが、自分も確かにそうだった。もしかすると今日のシオンは、かつての私がそうだったように、ちょっと気になる女の子がいて、その子にはパパと一緒の甘えっ子の自分を見られたくないのかもしれない。

五ヶ月前のいかにも子供っぽいシオンと、人の目にどう映るかを少し気にしだした最近のシオンを比較していると、嬉しさ七割、淋しさ三割の甘酸っぱい気持ちになった。

そうこうしているうちに、遠くにようやくわが子の姿が確認できた。絶対に直進はしないと心に誓っているのか、歩道を右から左へとふらふらしながら、サインカーブを描くようにしてこちらに近づいてくる。

向こうはとっくにこちらに気づいているのだろう。こちらを見ようとしないのが、何よりの証拠だ。

横断歩道にたどり着いたときは赤信号で、さすがにそこでは歩みを止めていたが、一人だけ妙にきょろきょろしている。だが、こちらがずっと注視していると、きょろきょろの途中でほんの一瞬だけ目が合った。あわてて目をそらしていたが、口元が笑っている。おかしな子だ。

信号が青に変わり、子ども達がいっせいに渡り始める。さすがに横断歩道でサインカーブを描くのは迷惑だと思ったのだろう、シオンは先ほどまでとは打って変わって一直線に進んできた。

だが、何ということ。まっすぐ前に進みながら、顔は完全に真横を向いているではないか。横断歩道を渡る前の「右見て、左見て、また右」の最後のポーズのまま、器用にも前に進んでいるのである。

これが先ほど「ほんの一瞬だけ目が合った」ことの影響であることは明らかだ。

目が合えばきっとパパが「シオン、いってらっしゃい」と声をかけるに違いない。そうしたら、この旗振りおじさんが自分のパパだとみんなに知られてしまう。それはなんだか恥ずかしいから、絶対に目を合わさないぞ。そのためにはパパと反対側を向きながら歩くのが一番だ。

きっとこう考えたのに違いない。

シオンの気持ちは理解しつつも、その子どもっぽい作戦がたまらなくかわいらしく思えて、「シオン、いってらっしゃい」とわざと声をかけてみた。

シオンは完全に無視して、相変わらず右を向いたまま横断歩道を渡っていった。

私はあんまりおかしすぎて声を上げて笑いそうだったが、なんとか堪えて「おはようございます」「いってらっしゃい」とほかの子たちに声をかけた。

信号が再び赤に変わる。ちゃんと歩いているかどうか気になって校門の方を振り向くと、ちょうど同じタイミングでこちらを見たシオンとまた目が合った。

遠くのシオンは、ふだんと同じ笑顔で小さく手を振ってくれた。

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