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エッセイ

入浴剤

子どもの頃、風呂の時間が待ち遠しくて仕方がなかった時期がある。年齢ははっきりとは覚えていないが、うちで初めて入浴剤を使い始めた頃なので、昭和40年代の前半だったと思う。

入浴剤のパッケージにはいろいろな効能が書いてあるが、風呂の時間が待ち遠しくてたまらなくなるほど私を魅了したのは、もちろんそうした効能ではない。

オレンジ色の粉末を容器から振り出して、お湯に溶かす……。

粉がオレンジ色だからお湯もオレンジ色になるかと思いきや、ああら不思議、浴槽の中のお湯は透明感のある黄緑色に変身。

理屈の上では、種も仕掛けもないどころか、ごく当たり前の出来事なのだろうが、子どもの私には魔法としか思えないほどインパクトのある現象だった。

あまりの不思議さにその場で何度も試したくなるのだが、まさかお湯を抜くわけにもいかず(今と違って、水を溜めて薪で沸かすタイプの風呂だったのでなおさら)、まだ風呂に入ったばかりだというのに、もう翌日の風呂の時間が待ち遠しくなった。そんな日々がしばらくは続いたように記憶している。

だが、慣れというのは、そして大人になるというのは哀しいものである。

かつては胸がどきどきするほどの期待感を伴っていた入浴剤投入の儀式は、いつの間にか風呂に入るための単なる一ステップと化してしまった。そのうち、わが家では入浴剤そのものを使わなくなり、気がつくと、風呂といえば透明なお湯という生活に戻っていた。

時は流れてあれから約半世紀……。

先日、妻が入浴剤を買ってきた。特に深い理由はなく、売っているのを見て何となく買ってきただけだという。買ってきておきながら使わないのもどうかしているので、その日のうちにさっそく使ってみた。

かつてと同じように、オレンジ色の粉末を容器から振り出し、お湯に溶かす。するとお湯は、かつてと同じように黄緑色に変わった。予想通りの、ごく当たり前の出来事だった。

が、5歳の息子にとって、それは少しも当たり前の出来事ではなかった。

「パパ! 見て! オレンジ色の粉入れたのに、お湯がグリーンになってる!」

そこには、予想外の現象に興奮し、目を大きく見開きながら歓声を上げる息子の姿があった。

その姿を見た瞬間、かつての自分もそうであったことが懐かしく思い出された。

と同時に、そんな自分がいつの間にか大人になってしまったことが少し哀しく思われた。

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