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エッセイ

七転び八起きに隠された衝撃の事実

その後に起こったことの衝撃が大きかったせいか、つい先ほどのことなのに話のきっかけが何であったのか思い出せない。

きっかけはともかく、息子シオンと風呂に入っていた私は、話の流れの中で「七転び八起き」という言葉を知っているかと尋ねたのであった。

「なにそれ?」

「何回失敗しても、諦めずに頑張るっていうことだよ」

「ふうん……。パパ、『やおき』ってなに?」

「八度起き上がるっていうこと。『や』は八のことだよ。八個のこと『やっつ』っていうでしょ?」

「そしたら、『ななころび』の『なな』って『七(しち)』のこと?」

「そうそう、よくわかったね」

初めて耳にした言葉を面白いと思ったのか、シオンは「ななころび はちおき」とか「しちころび やおき」と、わざと間違った読み方をしては、そのたびに自分でけらけらと笑った。

やがて、そのパターンに飽きたのか、こんどは「はちころび ななおき」と順番をひっくり返しはじめた。

髪を洗いながら息子の言葉遊びを聞いていた私が、「数字は順番どおりじゃないと変だよね」と言うと、シオンは「じゃあ、これはいい?」と訊いてから、早口でまくし立て始めた。

「一転び二起き、三転び四起き、五転び六起き、七転び八起き、九転び十起き!」

「七→八」から「N→(N+1)」と一般化できるとは、5歳児にしてはなかなかあっぱれ。将来が楽しみだ。と、いつもの親ばかで感心していたのだが、次の瞬間あることに気づき、冒頭で述べたように大きな衝撃を受けることになった。

私自身が「七転び八起き」という言葉を覚えたのがいつだったのか、それはわからない。

わからないが、この言葉を覚えて以来ずっと「七回転んでも八回起きる」という意味だと理解してきた。学校の先生にもそう教わったし、唄の文句などでも「七度(たび)転んで八度起き」というフレーズを聴いた覚えがある。

だが、それは間違いだった! 私が半世紀近く信じ続けていたその解釈は誤っていたのだ。これを衝撃と言わずして何と言おう。

「七転び八起き」の正しい解釈は「七回転んでも八回起きる」ではない。先ほどの息子の戯れ言をもう一度よく見て欲しい。

「一転び二起き、三転び四起き、五転び六起き、七転び八起き、九転び十起き!」

いかがだろうか。数字は一から十まで登場するが、転んだのは五回だけである。「七転び八起き」の「七転び」は通算四度目の転倒ということになる。

つまり、「七転び八起き」の正しい解釈、あるいはイメージは「七回転んでも八回起きる」ではなく、「七度目(第七フェーズ)に転んで八度目(第八フェーズ)に起きる」ということだ。

「いや、そんなことはない。たまたま一転び二起きからスタートしたからそんなふうに思えるだけで、七転び八起きはの意味は『七回転んでも八回起きる』でいいんだ。辞書にもそう書いてある」

そういう人も当然いるだろう。

だが、冷静になって考えてほしい。

七回転んだら七回しか起き上がれないではないか。「七回転んでも八回起きる」というのは土台無理な話なのだ。

もちろん「何回失敗しても、諦めずに頑張る」という意味そのものは変わらないし、大事なのはそのことだ。だからこそ息子にこの言葉を教えたくなったのだが、その息子の何気ない一言で自分の思いこみに気づかされる結果となった。

シオンとの会話はいつも刺激的だ。

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